戦世とくらし

館長あいさつ

6月23日は沖縄慰霊の日です。日本で唯一の地上戦となった沖縄では、多くの民間人が犠牲となり、本部町においても約4千人余りの尊い命が失われました。歴史的事実として戦争の愚かさを風化させることなく、後世に伝えていくことが平和学習を考えるうえで大切です。

今回のWEB企画展では、自身を投影して戦争と平和について考えられるよう、戦時中の衣食住にスポットを当てた展示を実施します。町内の戦争体験者からの聞き取り調査をもとに、沖縄戦のあらまし、WEB戦跡めぐり、当時の食事を再現するレシピを掲載します。県民町民以外の皆さまにも広く関心を持っていただけるよう、分かりやすい展示内容を心がけました。
なかなか安心して博物館に足を運んでいただけない情勢の中で、少しでも本WEB企画展が自宅で平和について考えるきっかけになれば幸いです。

令和2年6月18日 本部町立博物館 館長 宮里昌典
沖縄戦って何?
第二次世界大戦における太平洋戦争で、太平洋の島々を制圧した米軍は次に沖縄を拠点に日本本土を占領しようとしました。沖縄にはじめて大きな被害が出たのは1944年10月10日の空襲で、その後翌年3月に米軍が慶良間諸島に上陸してから6月に軍司令官の自決により日本軍の組織的抵抗が終了するまでの戦いを沖縄戦と呼びます。

この沖縄での戦いで出た犠牲者約20万人のうち約半数が一般の住民で、当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなりました。
慰霊の日って何?
沖縄県には「慰霊の日(6月23日)」という記念日があります。これは沖縄戦当時、沖縄島の首里に司令部を置いていた大日本帝国陸軍第32軍の牛島満 軍司令官と長勇 参謀長が自決した日(=日本軍の組織的抵抗が終了した日)に合わせて県条例により制定されているものです。慰霊の日は沖縄における戦闘で犠牲となったすべての人を追悼する日であり、糸満市摩文仁の平和記念公園では例年「沖縄全戦没者追悼式」が開催されています。

※日本軍の組織的抵抗の終了については、司令部が崩壊した6月23日であるとする説や牛島満 軍司令官が指揮を終了した6月19日であるとする説等、諸説があります。
終戦75年目を迎える今年。県民の4人に1人が亡くなったといわれ、本部町でも4千人余りの人々が犠牲となった『沖縄戦』の歴史をたどってみましょう。
沖縄戦当時、日本軍は本部町の八重岳周辺に約3000人の部隊を配置しました。ここ本部町にも当時の戦跡が残っています。
本部町の戦跡をWEBでめぐってみましょう。
戦世の生活とは「どのような住処」で「どのようなものを食べ」「どのような服」を着ていたのでしょうか。 当時のお話を伺うべく、聞き取り調査を行いました
戦時中、住民はどのようなごはんを食べていたのでしょうか?
聞き取り調査をもとに、戦時中のごはんの作り方をレシピで紹介しています。